香港の民主化デモが長期化しています。
2019年3月、逃亡犯条例改正案の反発を発端にデモが始まりました。
中国大陸で犯罪を犯したものが香港に逃げた場合、中国大陸への犯罪者の引き渡しを簡易的に行うという内容です。
香港市民は中国大陸側の悪用を懸念し猛反発、50万人規模のデモに発展しました。
2019年10月、中国大陸側は正式に条例改正を撤回していますが、
デモはおさまらず、普通選挙権を要求する、民主化デモへと発展しています。
現在、香港では普通選挙はありません。
産業界や議員からなる選挙委員会の投票による、間接選挙によって行政長官が決まります。
この選挙委員会の人選の抜擢が中国共産党によるものと言われており、事実上、中国共産党に指名された人が香港のトップの席に座ることになっています。
現在の香港のデモ隊の主張は香港市民による投票で行政長官を決めることです。
アヘン戦争
デモの発端は1842年にまで遡ります。
アヘン戦争で清を下したイギリスは、南京条約をもって香港をイギリスの領土としました。
それから1941年の世界第二次世界大戦まで、香港はイギリス領とされていました。
日本占領時期の日本
1941年からイギリス植民地軍を放逐した日本が香港を占領しています。
1945年の日本の降伏を持って、香港はイギリスの植民地として復帰しました。
5年ほど前ですが、香港歴史博物館に行ったときに、
初めてこの事実を知り、無知を恥じました。
日本統治の5年間は香港の人にとって最悪の時代だったと、
歴史博物館では説明されています。
英語版wikipediaには当時のことがよく記されています。

- 軍票の大量発行によるインフレ、経済不況
- 深刻な食糧不足
- 日本語教育の強制
- 数々の戦争犯罪
Silver Mine Bay massacreという事件では15人の兵が300人の市民を虐殺したそうです。
一方、日本のwikipediaには殆ど記載がありません。
戦争犯罪に関しても触れらていません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本占領時期の香港
香港返還
1945年にイギリスの強硬な態度によって、香港は再度イギリスの植民地となりました。
それから時は流れ、1997年に香港はイギリスから中国に返還されました。
まだ20年ほどしか経っていません。
今まで、香港は一国二制度のもと統治されてきました。
中国が、香港に対して一定の自治や国際参加を認めています。
これが習近平政権になり、中国支配の傾向が強まっていきます。
香港市民の思い
歴史博物館には2つのことが主に掲載されていました。
- 日本に占領されていた時のこと
- 中国大陸(共産党)と香港の統治について
香港はイギリスになりたいわけでもありません。
かといって、中国になりたいとか、香港として独立したいとか、
そういう単純なことでもありません。
香港市民は深く政治に関心を持ち、それぞれが悩み、
その答えをデモで主張しています。
冒頭でも書きましたが、50万人以上の規模のデモが8ヶ月続いています。
香港の経済状況は深刻であり、また、スペイン、カタルーニャ州でのデモのように他国のデモにも影響を与えています。
1842年にイギリスがアヘン戦争をし植民地化した問題が未だに続いており、
デモという形で表面化しています。
我々はさらに、香港の歴史と市民の意図を学ぶ必要があるように思います。
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